Dimension Q (2005)

ミクストメディア (鏡、机、椅子、その他/体験型作品)
W700 × D850 × H300 (cm)

「Project the projectors 04-05 台東」台東区旧坂本小学校

  ——目の前にある物体は、どれほどリアルなのか?——

 居間のテレビから、映画館のスクリーンから、そして美術展の映像作品から、日々写実的で平面的なイメージを受け取る。出会ったことのないものを目の当たりにし、経験したことのない光景に包み込まれる体験は、「虚像」でありながら強い力を持っているかのようだ。そして、力を持っていても「虚ろ」な像と表される。

 私たちは二つの目で世界を眺めている。左右の目で受け取る光景のズレ(=視差)は、立体感、遠近感となって私たちの心に浮かび上がってくる。
 一枚の絵では、鑑賞者に左右それぞれの目に異なった画像を提供すること、すなわち「二点視」を体験させることができない。実物を目の当たりにする体験には、二つの目で見ないと得られない光景のズレが含まれている。目の前の物体を眺める体験と、その物体を「写真」として眺める体験の間に与えられる、「異なる質感」には、ここに根拠のひとつがあるのかも知れない。

 そう考えて、対になった鏡とハーフミラーとを利用し、両眼視差の拡大装置をつくった。装置を利用し、平均して7センチメートルであるという左右の眼球の距離を10倍=70センチメートル程度に引き延ばす。

 

 装置は廃校になった小学校の施設の、教室に設営した。教室外の廊下側に、教室内を両眼でのぞき見るアイカップを設け、その視線は教室内に設置された二対の鏡によって上方左右に散らされ、教室内が俯瞰されるように設定した。それを通して眺めると、教室内に並べられている机や椅子が、手もとでミニチュア化して感じられるようになる。それはたとえば、室内の椅子に座っている人が、廊下にある装置の覗き穴から眺めて目の前30センチの位置に、まるで掌に乗るかのように「見える」のだ。

 それまで、遠近感や立体感は、痛覚のように身体的な、「リアル」なものだと思っていた。しかしどうやらそれは、個々人の経験から脳が「合成」している印象であるらしい。それはたとえば「このくらい左右の目でずれて見えるということは、1メートルくらいの距離にあるのだろう」という具合に。しかし「ズレの大小」という量と、「遠近感の強弱」という量とは、まったく別のものではないか。事象としての相関性があったとしても、印象としての相関性は、ない。

 受け取った瞬間に初めて心に浮かぶ「印象」というもの。結局のところ立体であれ平面であれ、見たものから受け取る印象は、アタマの中にしかない。立体感のメカニズムの不可思議さを追っているうちに、今度は「印象とは脳の中で自律的に合成されているものである」という別の不可思議さに出会ってしまった。

 

 

■廊下に設置した台の上から教室内をのぞき込む。のぞき穴から眺めることによって二組の鏡を経由し、拡大された両眼視差の光景を得る

 

■のぞき穴を裏側(教室内部側)から眺めた様子。窓枠に設置された箱の内部底面の高さに、教室の床面が結像する。
対になった鏡の一組は箱上面とのぞき穴の間に仰向けに設置され、もう一組は天井から下向きに吊されている。

 

 

■箱をのぞき穴側(廊下側)から俯瞰する。のぞき穴に近い方の鏡はハーフミラーになっており、箱内部に設置された机の模型と重なって眺められる。模型の接地面は、鏡を通して眺められる教室の床面と同じ高さに、実物の机と模型の机はほぼ同じ大きさに感じ取られる。

 

■装置の仕組み

二組の鏡を組み合わせ、左右の眼球間距離を約10倍にする。A点にて廊下から教室内をのぞき見る人は、教室内の対象Bを見たとき、C点(窓枠に設置された箱の底)にその立体的な虚像を得る。ここで、この虚像が結像する位置と同じ位置にさわれる実物D(机のミニチュア模型)を重ねて眺められる。

 

 

■のぞき穴から眺めた光景。ハーフミラーに教室の光景が映りこみ、机のミニチュア模型がかすかに透けて重なって見える。※写真では両眼で眺めた正確な様子を再現することができない

 

 

■箱内部に設置した机のミニチュア模型。教室内の実際の机は、ミニチュア模型と重なる8脚分が撤去されている。のぞき穴から眺めたときに初めて、整然と並べられた16セットの机+椅子の配列を感じ取ることができる。


Dimension Q 作品解説
「立体感」の源泉の探求
(2004年度東京芸術大学大学院美術専攻科先端芸術表現専攻修士課程 修了作品解説より抜粋)

 

■ 要旨

 平面作品と立体作品が鑑賞者に与える差異の一つとして、立体感という要素が挙げられる。本作品は人間の立体感および空間認知をもたらす要因の一つである両眼視差、すなわち左右の眼に入力される画像の違いを変化させる装置としての一面を持つ。これは左右両眼に対してそれぞれ二枚の鏡を利用し、元来人間のもつ左右眼球間距離7センチメートルの視線を、70センチメートルに拡大した視線へと変調することによって実現している。
 この装置を通して世界を眺めるとき、鑑賞者はその光景がすべてミニチュア化されているという印象を受ける。しかしここで、この装置の構造と、装置から導かれる鑑賞者の印象の間には、定量的には予測しがたい非連続性があるように思われる。つまり、実際の光景と受け取られる光景の印象の差が、この装置の単純な構造からもたらされるとは想像しにくいのである。
 一方で、このとき発生する違和感は、錯覚のメカニズムそのものでもある。したがってこれは、自明と捉えられがちな周囲に対する人間の空間認知が、いかに脆弱なシステムによってもたらされているか、またいかにそのシステムに無自覚に依存しているか、を捉え直す契機ともなりうるだろう。
 本稿では作品の着想と背景を理解するために、人間の空間認知のメカニズムに関する緒論を解説した上で、その原理をどのように展開したか、またハンドリングしたかを、作品制作のプロセス記録を通して解説する。そのプロセス記録には、制作を行っていく上で行き当たった様々な困難とその対応、克服手順が含まれており、美術作品の制作についての紆余曲折と作品の成立原理に関して、一つのケーススタディを示すとともに、その作品に関する検証を可能にするための資料的機能を提供するものでもある。
 さらにまた、作者自身の言葉によって自作を解説することにより、作品の背景、文脈、およびその作品のもつ意義への到達度を知るための、ユニークな資料価値を持つであろう。

 

■ 章立て

要旨
第一章 はじめに 平面と立体の差異とは ……「質量」が感じさせるもの
第二章 立体感獲得のメカニズム
第三章 両眼視差への着目と、制作への筋道
第四章 制作過程で対面した問題点
 1 脳内で行われてしまう情報の修正
 2 二点視できる視野領域確保の限界
 3 装置がつくりだす、二つの分断
第五章 着想と制作のプロセス/模索の遍歴
 紆余曲折の記録−−作品の背後にあるデータとして
 1 WIP展まで(初期衝動からプロトタイピングまで)
 2 WIP展から事前審査会まで (初期プランから一度目のリアライゼーションへ)
 3 事前審査会以降(作品の最終形態へ)
第六章 おわりに 作品制作を経て−−この後の展望
 1 波及的に得られたこと
 2 作品制作を経て
謝辞
脚注
参考文献
付録

 

■ 参考文献

1) 赤瀬川原平「ステレオ日記 二つ目の哲学」大和書房 (1993)
2) 川添泰宏「色彩の基礎 芸術と科学」美術出版社 (1996)
3) 岸野文郎・佐藤隆夫・横矢直和・相沢清晴・有川正俊
「岩波講座 マルチメディア情報学(5) 画像と空間の情報処理」
 岩波書店 (2000) p.25-33
4) J.J.ギブソン (訳:古崎敬、古崎愛子、辻敬一郎、村瀬旻)
「生態学的視覚論 ヒトの知覚世界を探る」サイエンス社 (1985)
5) 小町谷朝生「眼の不思議世界 視の五億年を考える」人文書院 (1997)
6) 下条信輔「視覚の冒険—イリュージョンから認知科学へ」産業図書 (1995) p.170-172
7) 土屋俊「認知科学選書7 心の科学は可能か」東京大学出版会 (1986)
8) 永井俊哉「縦横無尽の知的冒険〜専門の垣根を越えて〜」プレスプラン (2003)
9) 港千尋「映像論 <光の世紀>から<記憶の世紀>へ」日本放送出版協会 (1998)
10) 湊千尋「第三の眼 デジタル時代の想像力」廣済堂出版 (2001)
11) 宮崎清孝・上野直樹「認知科学選書1 視点」東京大学出版会 (1985)  p.7
12) 茂木健一郎「脳とクオリア なぜ脳に心が生まれるのか」日経サイエンス社 (1997)

 

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